ブライアン君


ハレルヤ!
1993年
 私たち60代の夫婦が ロサンゼルス教会の 牧師として 日本から派遣されたとき




同地のグレンデールには既に 数人のスタッフが 日本から来ておられた。


しかし 間もなく それぞれが 日本に戻り

 私たち夫婦だけが 残ることになった。

( 私たちと一緒に渡米した我が家の猫 )

これを機に 主は
礼拝場所を 新しく借りる事を導かれ

私たち夫婦は YMCA の一室で 礼拝を始めた。


すると、時々 興味を持たれて 部屋を覗いて入って来る人々もあったが

決して リピートする人はいなかった。



そういう状況の中で
ブライアンという

わたしたちの息子より一回りほど年上の

白人の男性が やってこられた。

既にボーンアゲインしていたと思う。



毎週 日曜日には必ず来てくださって共に礼拝を捧げ、

午後は ひとりで、路上生活者を訪ねて 聖書の恵みを分かち合う奉仕をしていたようだ。

我が家にも毎週のように
招いて食事を共にし、 英会話のレッスン これも楽しいものだった。

このように  わたしたち夫婦は、彼によって おおいに 励まされ、助けられた。




数年後、夫に癌の闘病がゆされて、

やがて2007年に
治療するために日本に帰国したが

それまでの 長い年月を
彼は  私たち  日本人宣教師夫婦のそばに居てくださった。

今日は  GRACEと宝石のリードボーカル、グレースさんに乞われて



(私も ロスでは  グレースさんと愛称で呼ばれていた事も懐かしい )

ロサンゼルスの思い出を語る時

遠い記憶から 彼、ブライアンが 思い出された。






 彼は 私たちと共に礼拝を継続した 唯一の人物、大切な兄弟だった。


彼はどうしておられるだろうか?

どうか 幸せでいてほしい。

今、彼と笑顔で再会し 感謝を伝えたい。

イエスさまが 今、祝福を増して彼に与えてくださって、

私たち夫婦の感謝を伝えたい。




当時は 私も インターネットで繋がる力量もなかった。



今は コロナ騒動で 世界の情勢も大きく揺れている。

どうか、神様、彼と彼のファミリーを

特別の祝福で守り導いてください。

今 何か窮地にあるなら主の御手で 救ってください。





私たちTLEA教会と 再び 繋がるのが 神様の御心でありますように。

主の御名が 崇められますように。アーメン



以上  橋本さんの

ロサンゼルスの思い出





記録係: グレースK













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